
琵琶湖の湖北、近江長浜は「太閤」豊臣秀吉ゆかりの地であり、奈良時代から安土桃山時代にかけてさまざまな仏教や庶民文化を受容・創出してきた城下町です。ここに小さな店を構え、添加物や安易な調味料に頼らない本来あるべき姿の「食べもの」を作り続けているのが、一湖房(いっこぼう)の主・野中敬三(のなかけいぞう)さんです。
野中さんは当地の伝統織物「浜ちりめん」の小売を営む商家に生まれました。父は当時では珍しく全国に顧客をかかえていたため、頻繁に地方に出向き、母はそのたびに地元で獲れる名物の鴨や鮎などを煮炊きして手土産に持たせていました。その味が評判を呼び、いつしか小さなお店を構えることとなりました。
素材の選び方や昆布や鰹節などでダシをとる丁寧な料理法は変わらず、いっさいの手を抜きませんでした。その後、調理人を目指そうと決めてからというもの、野中さんは常々、その母の姿勢や味を意識しているといいます。その代表的な商品が鴨ロースです。
この鴨ロースに使用する鴨は、京都で契約肥育しているイギリス原産のチェリーバレー種の鴨のみに限定し、刺身でも食べられるほど新鮮で肉質の良いものを使っています。丁寧に下ごしらえをした鴨は、皮の部分のみを焼いて不要な油を徹底的に落とし、昆布や鰹節でとった特製のたれに漬け込んだ後、じっくりと炊き上げて身の中に旨みを閉じ込めます。出来上がった鴨ロースは、特製だれのコクと鴨の旨みが相まった贅沢な味わいで、多くのリピーターに愛されています。
美味しさの大きな理由のひとつは、焼くときに徹底的に余分な油を落とすことです。手のひら大だった生の鴨肉が、商品になるときにはこぶし大にまで小さくなります。まさに旨みを凝縮した逸品です。もし太閤様が生きていたら、きっとお取り寄せをして大阪城でその味を楽しんだことでしょう。