葵祭の歴史は古く、凶作が続いた6世紀に天皇が下鴨・上賀茂両神社に勅使を送って豊作を祈願したのが始まりといわれます。
「源氏物語」・「枕草子」に登場するように、当時は「祭り」と言えば「葵祭」を指すほどに、最も盛大な祭りでした。
葵の葉をつけ、平安時代の装束に身を包んだ人々の行列が、京都御所〜下鴨神社〜上賀茂神社を練り歩く様子は、色の洪水のように華やかで、当時の雅を今に伝えます。
検非遺使尉(けびいしのじょう)
奇抜な色の衣装をまとった鉾持
勅使の牛車は、最高級の「唐車」
馬寮使(めりょうつかい)は走馬の担当者
舞人(まいうど)は東游を担当する武官
陪従(べいじゅう)は雅楽を演奏する武官
行列の最高位、近衛使代(このえつかいだい)
鮮やかな造花で飾られた風流傘
一身に注目を集める斎王代
十二単をまとい、手には檜扇
藤の造花と葵の葉をつけた騎女
騎女(むなのりおんな)は、斎王付の巫女
神事を司る采女(うねめ)
斎王代の牛車
鳥居前の陪従
風流傘と、下鴨神社楼門の朱色
「社頭の儀」にのぞむ倍従と舞人
雅楽を弾き鳴らしながら進む
陪従の衣装には、獅子や熊の蛮絵模様
山城使(やましろのつかい)
いたるところに桂と葵の葉
社頭の儀を見守る斎王代
純白の神馬と馬寮使(めりょうつかい)
舞殿を3回まわる牽馬の儀
優雅な東游、「駿河歌」
続いて「求子舞(もとめごまい)」
雅楽の調べと東游、平安時代さながらの神事
晴天率が高い5月の空
退出する陪従
「社頭の儀」に続く「走馬(そうめ)の儀」