お寺の起源は1616年まで遡り、当時は学問所として多くの僧が学ぶ場所でした。
江戸時代初期に京都・六条三筋町の名妓とうたわれた吉野太夫ゆかりのお寺でもあります。
季節折々の変化を感じられるこじんまりとした境内は、心落ち着く風情・・・。
京都市内に比べると空いているエリアですから、ゆっくり散策できます。
【吉野門】
1628年、日乾上人に帰依し法華経を深く信仰していた吉野太夫が、私財を投じて寄進した門。
深い朱色が緑に映えます。
【帯塚】
女性の心の象徴である帯に感謝して、1969年に建立されました。
毎年5月の帯祭りでは、帯供養と帯風俗行列が催されます。
【本堂】
本堂に掲げられている扁額「旃檀林」は日潮上人の筆、「学室」は光悦の筆によるものです。
【庭】
桜と紅葉が植えられた庭は、春と晩秋に素晴らしい景色を見せてくれます。
【茶室】
茶室「遺芳庵」には、吉野太夫が好んだ大きな丸窓。茶会が開かれて賑わう日もあります。
【お墓】
吉野太夫のお墓。今でもお参りに来る人が絶えないそうです。
吉野太夫を偲んで植えられたという吉野桜が満開になる四月の第三日曜日、「花供養」が催されます。
島原の太夫が、源光庵から常照寺へと練り歩く姿を一目見ようと、大勢の人で賑わいます。
太夫による献茶野点や芸を見る席は有料ですが、毎年人気の行事となっています。
太夫とは、舞、和歌、連歌、俳句、書、茶湯、香道、囲碁など、あらゆる諸芸に優れ、「遊宴のもてなしを公認された」女性の最高位とされています。
(吉原などの遊郭における最高位である「花魁(おいらん)」とは異なります。)
容姿端麗であるだけでなく、芸を磨く努力を惜しまず、才能に恵まれていなければ成しえない最高の位です。
2代目の吉野太夫は、それらの諸芸に優れていただけでなく、他者を思いやる情け深い性格で人々に広く愛され、「天下に並ぶ者の無い太夫」と謳われました。
現存する唯一の揚屋の遺構です。
幕末には、坂本竜馬、西郷隆盛、新撰組の面々も訪れていました。
現在は、その一部を美術館として一般公開しています。
江戸時代の揚屋文化を詳しく知りたい方はぜひ訪れてみてください。
近くには、揚屋と置屋を兼ねる「輪違屋」があり、現在5人の太夫をかかえて営業していますが、一見さんは入ることができません。